Takaaki

記事一覧(13)

旧友とフライフィッシング 2018 夏

天空のレインボートラウト

 「今週末は台風の豪雨で本流の釣りはダメだ、どうする?」今から20年前、仲間からの電話で物語は始まる。なら○川はどうかな?×沢はどうた?という話の中で、そうだ、釣れるかわかんないけど、気分を変えて湖に行こう!そこで決まったのがこの湖だった。それからの怒涛の釣行数でここのレインボートラウトを釣って行くことになるのだが、その中で、より遠くのライズ、よりセンシティブに狙うスプーンの釣りを試行錯誤して行く事になる。空に近い湖のニジマスは背中がブルーになる。それをアングラー達はブルーバックレインボーと呼ぶ。今でこそルアーマンはたくさん来るようになったが、当時はフライマンと餌釣りがほとんどでルアーを投げている人を見かける事は少なかった。私の得意とする3㌘のスプーンを使いライズをウルトラライトのロングロッドで狙う釣りはこの湖で生まれたのである。そして、2003年秋を最後にしてこの湖に足を向ける事はなかった。時は流れて2018年、15年ぶりにこの湖を訪ねてみた。場所は群馬県、六合村にある野反湖である。 湿原にあった沼をダムで塞き止めた人造湖なのだが、標高1500㍍を越えるこの地の景観は我々アングラーのみならず多くの登山者、キャンパーを魅了する。 夜明けの時刻に湖畔に到着。澄んだ空気、深く青い空、それはあの頃と何も変わらない。 しかし遊歩道は整備されていた。チップを敷き詰めた舗装はずいぶん歩きやすく感じた。 きっとここは天国なんだろう。この世とは思えないほど美しい湖畔の景色だ。しかし かつての釣りかたでは答えが出なかった。。渇水と高水温でレインボー達は沈んでしまったのか、反応を得ることが出来なかった。一番の間違いは時期が遅いことだろうけど、急深のラインを狙えばチャンスはあるはずだ。あるにはあった。かわい過ぎるレインボーの幼魚がスプーンに付いてきた。みんなにヤマメ?って言われたけど、ニジマスにも小さな頃はパーマークがあるんだ。 アンサー6㌘ 最近使い込んできて、このスプーンのコツみたいなのが何かわかってきた。うまくは言えないけれど、ちょうどいいスピードを見つけると規則的なピッチの中でリズムが崩れるところがある。それを見つけるのが、今は楽しい。   小さな流れ込みの近くにいたイワナ。 小さくてもイワナはイワナだと、言いたげな目で私を睨む。 15年近くブランクが空いてるから今の事情や釣かたは全くわからない。しかし、それでもいい。九州に行ってから、この湖にもう二度と来ることが出来ないと思っていた。 何時も夢に見ていた天空の湖、そして天空のレインボートラウト。 焦る事は何も無い。急ぐ必要など何処にもない。また来ることが出来たのだから。何時かまたあの素晴らしい魚達を手にする日が来る事だろう。まだ日が高い湖を残して、帰ることにした。 秋になれば緑の山は、紅色に染まる。そしてレインボートラウト達は、またシャロー集まってくる。その時また此処に来る事を夢見ている。

裏磐梯のバスフィッシング

「また7月になったら桧原湖行こう」6月に野尻湖へ行った帰り道、信州の高速道路で仲間とそんな話をした。メンバーは皆、嘗ては同じ釣具屋さんに通い、その店が引き合わせてくれたご縁で仲間になった人達である。仕事が終わるとみな釣具屋に集まり、時には真剣に釣りの話をしたり、冗談を言いあったり、笑いがメインの釣り大会をしたり、その時にそこに居なければ経験できないことが溢れていた。そして私自身もその楽しく素晴らしい時代は永遠に続くものかと思っていた。しかしある冬の日に、その店の店主がこの世を去り、その時代は終わってしまった。店主が最期に楽しんでいたのが、仲間と共に行く野尻湖と桧原湖のスモールマウスバスの釣りだったという。当時の私はシーバスやトラウトの釣りをストイックにやっていたので、何度バス釣りに誘われても一緒に行く事をしなかった。バスが嫌いなんてことは無かったのだけど、大型のトラウトやシーバスを釣る事が全てで、釣りを楽しもうという余裕が無かったというのが本音かもしれない、ベストシーズンである春~初夏に他の釣りをする気持ちになれなかった。トロフィーを獲るために、1回でも多くのチャンスを掴みたかった。それが愚かな事だったと知るのは随分後になってからだった。もう会えなくなるなら、あの時、一緒に釣りをしておけば良かったと、今は後悔している。そして最近になり故郷の埼玉に帰ってきた私を釣りに誘ってくれるのは当時からの仲間達。「弔いというで昔のメンバーで釣りに行くからお前も来いよ」

絶滅危惧種 ニホンカワガキ

私と同じ昭和40年代生まれ、それ以前の世代の方で野山海で生まれ育った方であれば、きっと水遊び魚とりの経験をされていると思います。ここ最近、水辺で遊ぶ子供を見かける事が無くなり、釣竿担いで自転車に乗る少年も数年に一度見るかになってしまいました。駄菓子屋でわいわいやってる姿も無いし、路地で遊ぶ子供もいない、空き地で野球する子供を見かける事もありません。あからさまに子供同士で喧嘩をする姿もありません。代わりに増えたのがスマホやゲームに夢中になっている子供達です。水は危ないから、子供は近づいてはいけない。道路は危ないから遊んではいけません。けんかはいけません、みんな仲良く。勉強しなさい、宿題やりなさい。確かにそうです、仰るとおり。そして大人は何かを守って何かを失った事に気がつかない。子供達にはたくさん与えたと言うでしょう。より良い教育に取り組んだと言うでしょう。でも、子供に必要なのは、好奇心と実体験。私は立派な親では無いかもしれません。ただ子供は色々なものに好奇心を持つ事が一番大切だと思っています。「これ?なに?これ?」って一番子供らしい、自然な行動だと思うのです。これをしなさい。こうしてはダメには、どうして?なぜか?がつくもんだと考えています。例えば水が危ないから近づかないというのがあります、理由は川に落ちたら命を落とすかもしれないから。と言われますが、落ちたら経験があれば、溺れた経験があれば、次は慎重になり、注意をするでしょうし、水遊びをするうちにどうやったら溺れないかに好奇心が向いたとき、徐々に慣れて泳げる様になるかもしれません。当然、親がそばでずっと見守っていく事は難しく実際はそんな事はできない。私が子供の頃は、そんな兄貴分がいて色々教えてくれて、ピンチのときは助けてくれました。悪い事も良い事もガキ大将が教えてくれたのが昭和の時代です。だから川と上手に遊びながら釣りも覚えたのでしょう。ところが、現代では見守ってくれる上級生や兄貴分がいない。子供達のコミュニティが欠落しているんですね。私は息子達には釣りをして欲しいですから、釣りは1~2年経験させました。ルアーはさせません。のべ竿に餌釣りです。私の父は釣りをしないので、のべ竿での釣りが祖父と叔父に教わった釣りだからです。今日に至るまでその原風景だけで、釣りを続ける事が出来たのです。ここから先は本人が興味をもって進むか。父のように成りたくないと思って別の世界に行くか、それともスポーツや勉強一筋になるのか?を決めたらいいんじゃないかなと思っています。平成生まれの息子達には、私と同じような経験をさせるのは難しいと考えているからです。

夏の匂いと蝉時雨

ルアーフィッシングが現代ほど細かくカテゴライズされていない時代の話は私のブログで幾度となく登場する。それは遠い夏の記憶から始まる。少年時代に憧れたものは、プロ野球選手でもヒーローでも無くて大先輩にあたる方々がしていた70年代~80年代のルアーフィッシング、フライフィッシングだった。 その頃の情熱のまま変わらずに釣りを続けている。今の私が釣りをしている理由の根源は、原風景はそのころに芽生えた。たくさんの仲間に出会った。たくさんの釣り場へ出向いた。たくさんの魚を釣ったのだ。しかし、釣りに関しては、もうたくさんだ。とは成らずに済んだ。釣りをしたい気持ちはあの頃と何も変わらない。変わったとすれば、釣りを取り巻く時代と風景だろう。まだ昭和だった頃、生まれ育ったのは関東の田舎町だったから、近くには荒川や元荒川、農業用の水路や溜池があり釣りや魚取りをするのは子供なら誰でも通る遊びだった。子供からすればルアーは高価な代物。今よりもずっとルアーフィッシングの釣具は限られていて、手に入れる事が困難でこの釣りにおける本物の道具は全て海外製(舶来品)だった。国産のルアーは海外製品のコピー品や模造品も多かったし、ロッドやリールに至ってはABUやミッチェル、ガルシアやフェンウイックを容易く買える子供は居なくて、実物を見るのも、遠い都会のプロショップか、フィールドで見かける先輩アングラー達が誇らしげに使っている姿を見るくらいだった。当然、小遣いを握りしめて都会のショップに行くのだが、先月見かけた欲しいカラーのプラグは売り切れていたり、綺麗に本物そっくりに作られたハンドメイドルアーは値段が一桁違っていたり、刺激的なことに溢れていた。それでも欲しいプラグを手に入れたいときは遠く関西のショップに電話で問合せをして書留で現金を書留で送り、商品を届けてもらう、今はネットに変わってしまった、通信販売で買うしかなかったのである。ブラックバスは当時、希少な魚で限られたフィールドでしかその姿を見ることが出来ない夢の魚だった。バスを大切に扱い保護してフィールドを守るというのがスポーツフィッシングの愛好家達には当たり前の思想だった。当然、手の届くフィールドが現れるまでは、小魚の活き餌で釣れる、ライギョやナマズがメインだった。後から夢中になるイワナやマスやヤマメ等は別世界の話だった。私が中学生に上がる頃には、ブラックバスが釣れてる野池の話がチラホラ聞こえてきた。やがてルアーフィッシングにおける地域のアンテナショップ的な釣具店にも辿り着いていた。手書きで書かれた野池の地図をもらい。釣行の計画を立てる。