今から300年前には、筑後川にサクラマスがいた可能性が極めて高いという。 最近読んだ論文によると、筑前国続風土記に書かれている赤腹魚というのが、どうやら筑後川にいたマスの回遊個体群だという事だ。 ならばなぜ、300年後それらが消えたのか・・・・・・・・
このテーマに関してはもう15年考えて続けている。 そして有明海との出会いである、筑後川河口部から阿蘇山の裾野に広がる筑後川水系の各支流の源流部までマクロな目線で見なければ、理解できない世界も分かってきた。 現時点でその詳細について語る事は出来ないが、私という釣師の視点からみたその真実を確かめる釣りを現在も続けている。 この時期になると、サクラマスの稚魚であるスモルト達は海に向って旅をしている、そして成長して帰ってきた先輩にあたるサクラマスの成魚は、海から川を目指す準備を始めている。 この当たり前の自然のサイクルが失われたのは、紛れもなく太平洋戦争後、高度経済成長期に進められた、ダム建設、治水、水力発電設備の影響だと言える、令和の時代になっても、ダム建設は止まる事なく、続けられている。
そこで多くの河川は、劇的な環境変化を受けて太古の昔から繋いできたサクラマスの生活史に大きな影響を与えた事になる、ある河川では遡上個体群が消滅し、またある河川では本流に残留する本流ヤマメという形に姿を変えた訳である。特に西日本ではその傾向が躊躇に現れていると言っても過言ではないだろう。
私の住まいの近くを流れる大河、筑後川も例外ではなくヤマメの回遊個体群は劇的にその姿を消したと考えられる。
一般的に考えて、絶滅まで追い込まれた魚の末裔を釣るという事は、果てしなく困難であり、それを釣りとして成立させること自体に無理がある。
その為、多くの釣り人は釣るという行為自体をしない。
今まで数えきれない程の流域の人間に声をかけてきた、「マスを知りませんか」といるらしいと答えたのは僅か数名、多くは全く聞いたことは無いし、見た事もないし、居ないだろうと答える。
でも、本当に釣れないのだろうか。
釣れないと決めた人は、この釣をしたのだろうか。 ヤマメ釣りやサクラマスの釣りを熟知した人間が挑んだ結果なのだろうか。 少ないながらも、河川残留型のヤマメは存在している。 令和の時代にも私の様に諦めの悪い釣人というものが少なからず存在している。実は私という人間は過去に居ないと言われた魚を釣ってきたから、自分の目と経験測以外をあまり信用していない。
サクラマスという魚を初めて手にしてから、四半世紀の時間が流れた。
重要なのはルアーの種類でも、テクニックでもないと思っている。
一つだけ言える事は、意外性を偶然を可能性を諦めない事だ。
どうにもならない事はどうにもならないのは承知の上で、チャンスがあれば竿を出して試してみること、時間が許す限りそれを続けて行く事、それ以外の近道など無いと考えている。
これまで積み上げた経験でもう一度この魚に挑みたい。
東洋式疑似餌釣研究所
疑似餌釣(ルアー フライフィッシング)のサイトです。 四季折々の美しく強かな魚達かいる。 情緒纏綿な水辺と人と魚の物語がある。 仲間の笑顔と空の蒼さそこには 忘れてはいけない大切な時間がある。 さて、どう釣りますか?
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