蕎麦を食べに渓流へ

 「今度渓流に行こう!」そんな曖昧な約束を最初に交わしたのは何時だったのだろう。気が付けば15年、いや20年近く時間は流れてしまった。魚釣が、私にもたらした不思議なご縁は何時もふとしたタイミングで降りてくる。まだ20世紀が終わる前、私の仲間達は何処にでもあるような町の小さな釣具店で繋がって行った。当時は前のバスブームの真っ只中で常連の大半はバス釣りをする人達。 当時の私はトラウトをメインにしていたから、バスから離れ気味だったが、常連のバス釣りの上手な人達もオフシーズンになると管理釣り場でトラウトのルアーに熱を上げていたのでその時期だけは一緒に釣りをしたものだった。 スプーンの釣りはシーズンを通して本流、渓流、湖と場数をこなしていたから、誰にも負ける訳にはいかないと本気で思っていたけれど、思い返してみると、私と同じくらい、いや、私以上に上手な方がたくさんいたのである。

スプーンでライズを釣る

 フライフィッシングではライズするトラウトを狙う釣りが一般的であるが、ルアーフィッシングにおいてライズを待つ釣りというのはなかなか聞いた事がないので、この釣りに関してお伝えしたい。 「まだ投げるな、待てよ。」 投げていれば回遊していつか釣れると思って疑いもしなかった私は驚いた。20数年前に、夕マズメの湖畔で仲間が言った一言。「あのな、暗くなれば、魚は近くに集まってくる、じっくり待てば撃てる範囲にたくさん来るんだよ!」 彼の言ったとおり、その夕刻の一時、怒涛のライズと、ライズリングにスプーンを通すだけで連発ヒットという釣りを体験する事になった。

旧友とフライフィッシング 2018 夏

 30年前、旧友である彼とは近くのバスが釣れる池で出会った。隣町の釣りが上手な高校生3人組の一人であった彼は当時からフライフィッシングをしていた。一緒に釣りに行くようになったきっかけはよく覚えていないが、10代後半から30代になるまで、印旛沼や霞ヶ浦などのバス釣りや、福島や長野の渓流ルアーフィッシング、管理釣り場でフライフィッシング、本流のサクラマスやダム湖のヤマメ、ニジマスの釣りを共にやってきた。その後は、私も九州へ旅立ち、彼も結婚して子育ての時代が10年近くあり、一緒に釣りに行く回数は極端に少なくなってしまった。3年前に私が九州から埼玉に帰って来てからは、毎年1~2回、彼とは渓流でフライフィッシングをする。日帰りで行ける範囲だから、秩父や長野と新潟と時間を合わせては釣行をしている。既に前回、前々回と釣行記事にしているので私のブログを読んで頂いている皆様はご存知かとは思うが、始めての方にも説明させていただきました。さて、今回は夏休みの魚野川水系である。今年は雨が少なく苦戦するかとは思ったけれど、やはりこの地域は我々にとって特別な場所だから外せないフィールドとなる。

夏休みの釣り 2018

 数ヶ月前、夏休みはどっぷり釣りをしましょう、渓流でも湖でもバスでも雑魚でもいいから色々釣りたいと、仲間の藤井氏が言った。それならば、まずイワナを釣りを案内する、と釣の計画は進んで行く。当日、午前2時藤井氏が私のアパートへ到着する。夕方からは激しい夕立が降ったから、ゆっくり様子を見て始めようと話し合い明け方には林道の車止めまで車を走らせた。その頃、藤井氏は助手席で深く寝息をたてている。そこで私も渓へ様子を見に行ったが激しく増水した流れは大きな水音を轟かせていた。運転席に戻り、ゆっくりやるか?藤井氏を起こすか?等と考えていたらいつの間にか私も寝てしまった。しかし、彼との縁や繋がりは不思議なものだ。tailswingというサイトが立ち上がる前からの付き合いだか、世代を越えて新しい刺激を何時も私に与えてくれる。

夏の渓流ルアーフィッシング

 私がこの釣りを始めたのは四半世紀前。当時、渓流のイワナやヤマメをルアーフィッシングで釣ることはまだまたマイナーなジャンルだったので、渓流でルアーフィッシングをする人に出会う事は、地元の関東では皆無だった。東北や新潟の有名河川に行けばルアーフィッシングをする人を見かける事もあったのだけど、世の中バスブームの真っ只中でルアーフィッシングといえば、ほとんどの人がバスと答える様な時代。当然ながら、関東のマイナーな渓は昨今の様なプレッシャーが無かったから、ヤマメが釣れずに帰る事など無くて、釣りたい時に行けば幾らでも釣る事が出来たのである。もっぱら活躍したルアーはスプーンとスピナー。時折、フローティングミノーや、海用の小さなシンキングミノー等であった。現代の渓流ルアーフィッシングは、ベイトフィネスであったり、ヘビーシンキングミノーであったり、まだまだ私の知らない釣りかたもたくさんあるみたいだ。

天空のレインボートラウト

 「今週末は台風の豪雨で本流の釣りはダメだ、どうする?」今から20年前、仲間からの電話で物語は始まる。なら○川はどうかな?×沢はどうた?という話の中で、そうだ、釣れるかわかんないけど、気分を変えて湖に行こう!そこで決まったのがこの湖だった。それからの怒涛の釣行数でここのレインボートラウトを釣って行くことになるのだが、その中で、より遠くのライズ、よりセンシティブに狙うスプーンの釣りを試行錯誤して行く事になる。空に近い湖のニジマスは背中がブルーになる。それをアングラー達はブルーバックレインボーと呼ぶ。今でこそルアーマンはたくさん来るようになったが、当時はフライマンと餌釣りがほとんどでルアーを投げている人を見かける事は少なかった。私の得意とする3㌘のスプーンを使いライズをウルトラライトのロングロッドで狙う釣りはこの湖で生まれたのである。そして、2003年秋を最後にしてこの湖に足を向ける事はなかった。時は流れて2018年、15年ぶりにこの湖を訪ねてみた。場所は群馬県、六合村にある野反湖である。 湿原にあった沼をダムで塞き止めた人造湖なのだが、標高1500㍍を越えるこの地の景観は我々アングラーのみならず多くの登山者、キャンパーを魅了する。 夜明けの時刻に湖畔に到着。澄んだ空気、深く青い空、それはあの頃と何も変わらない。 しかし遊歩道は整備されていた。チ...

裏磐梯のバスフィッシング

「また7月になったら桧原湖行こう」6月に野尻湖へ行った帰り道、信州の高速道路で仲間とそんな話をした。メンバーは皆、嘗ては同じ釣具屋さんに通い、その店が引き合わせてくれたご縁で仲間になった人達である。仕事が終わるとみな釣具屋に集まり、時には真剣に釣りの話をしたり、冗談を言いあったり、笑いがメインの釣り大会をしたり、その時にそこに居なければ経験できないことが溢れていた。そして私自身もその楽しく素晴らしい時代は永遠に続くものかと思っていた。しかしある冬の日に、その店の店主がこの世を去り、その時代は終わってしまった。店主が最期に楽しんでいたのが、仲間と共に行く野尻湖と桧原湖のスモールマウスバスの釣りだったという。当時の私はシーバスやトラウトの釣りをストイックにやっていたので、何度バス釣りに誘われても一緒に行く事をしなかった。バスが嫌いなんてことは無かったのだけど、大型のトラウトやシーバスを釣る事が全てで、釣りを楽しもうという余裕が無かったというのが本音かもしれない、ベストシーズンである春~初夏に他の釣りをする気持ちになれなかった。トロフィーを獲るために、1回でも多くのチャンスを掴みたかった。それが愚かな事だったと知るのは随分後になってからだった。もう会えなくなるなら、あの時、一緒に釣りをしておけば良かったと、今は後悔している。そして最近になり故郷の埼玉に帰ってきた私を釣りに誘ってくれるのは...

絶滅危惧種 ニホンカワガキ

私と同じ昭和40年代生まれ、それ以前の世代の方で野山海で生まれ育った方であれば、きっと水遊び魚とりの経験をされていると思います。ここ最近、水辺で遊ぶ子供を見かける事が無くなり、釣竿担いで自転車に乗る少年も数年に一度見るかになってしまいました。駄菓子屋でわいわいやってる姿も無いし、路地で遊ぶ子供もいない、空き地で野球する子供を見かける事もありません。あからさまに子供同士で喧嘩をする姿もありません。代わりに増えたのがスマホやゲームに夢中になっている子供達です。水は危ないから、子供は近づいてはいけない。道路は危ないから遊んではいけません。けんかはいけません、みんな仲良く。勉強しなさい、宿題やりなさい。確かにそうです、仰るとおり。そして大人は何かを守って何かを失った事に気がつかない。子供達にはたくさん与えたと言うでしょう。より良い教育に取り組んだと言うでしょう。でも、子供に必要なのは、好奇心と実体験。私は立派な親では無いかもしれません。ただ子供は色々なものに好奇心を持つ事が一番大切だと思っています。「これ?なに?これ?」って一番子供らしい、自然な行動だと思うのです。これをしなさい。こうしてはダメには、どうして?なぜか?がつくもんだと考えています。例えば水が危ないから近づかないというのがあります、理由は川に落ちたら命を落とすかもしれないから。と言われますが、落ちたら経験があれば、溺れた経験が...

自然の脅威

7月の大雨というのは警戒する必要がある。九州、四国、西日本で豪雨による甚大な災害が出た。久留米にある自宅は浸水を免れたものの周辺の生活道路は冠水した。私はそれだけで済んでいるが、西日本全域で自宅が水没や倒壊して住む場所を失った方も、亡くなった方も、行方不明の方もたくさんいる。昨夜のニュースでは自宅のある町内の映像が流れていた。

夏の匂いと蝉時雨

ルアーフィッシングが現代ほど細かくカテゴライズされていない時代の話は私のブログで幾度となく登場する。それは遠い夏の記憶から始まる。少年時代に憧れたものは、プロ野球選手でもヒーローでも無くて大先輩にあたる方々がしていた70年代~80年代のルアーフィッシング、フライフィッシングだった。 その頃の情熱のまま変わらずに釣りを続けている。今の私が釣りをしている理由の根源は、原風景はそのころに芽生えた。たくさんの仲間に出会った。たくさんの釣り場へ出向いた。たくさんの魚を釣ったのだ。しかし、釣りに関しては、もうたくさんだ。とは成らずに済んだ。釣りをしたい気持ちはあの頃と何も変わらない。変わったとすれば、釣りを取り巻く時代と風景だろう。まだ昭和だった頃、生まれ育ったのは関東の田舎町だったから、近くには荒川や元荒川、農業用の水路や溜池があり釣りや魚取りをするのは子供なら誰でも通る遊びだった。子供からすればルアーは高価な代物。今よりもずっとルアーフィッシングの釣具は限られていて、手に入れる事が困難でこの釣りにおける本物の道具は全て海外製(舶来品)だった。国産のルアーは海外製品のコピー品や模造品も多かったし、ロッドやリールに至ってはABUやミッチェル、ガルシアやフェンウイックを容易く買える子供は居なくて、実物を見るのも、遠い都会のプロショップか、フィールドで見かける先輩アングラー達が誇らしげに...

平成の奥只見銀山湖

長く魚釣りをする事で出逢う人達がいる。 そして出逢うフィールドや魚達がいる。それらがターニングポイントになる事もしばしばだ。釣りの格言、名言に「フナに始まりフナに終わる」という言葉か存在するが、ことルアー釣りにおけるそれは「スプーンに始まりスプーンに終わる」とここに記しておこう。昭和の一大ルアーブームとなった場所のひとつに奥只見銀山湖がある。2尺、つまり60センチを越える大イワナが棲んでいる、新潟と福島の県境に位置する人造湖である。越後高田藩が銀山をこの地に開いた事が、その名の由来である。