釣の哀しみ

釣は、楽しく愉快なものか。
痛快でときめくものか。

いいや、私はそうではないと思っている。

どちらかと言えばその逆だ、釣というものは、どこか虚しく、そして哀しいものだ。 

この釣という自縛に心を奪われてから40年、私の気持ちはそこにいる。

あの川も、あの池も、あの空も風も、そこにあった仲間の笑い声も、もう何処にも見当たらない。

釣をした事で、確かに何かを得た、それが何かはわからない。

そして何かを失った。

それは代償を支払ったのではなく、手放すべきものを手放し、得るべきものを手に入れたげなのだろう。
その哀しみ故に。

時折、魚が答えてくれたとき、一瞬だけ私の孤独という暗闇の部屋に、光が差し込む。

それに何度も救われながらも、また幾千も哀しみの淵に突き落とされ続ける。

何かを掴みたい。

明日、釣るための理由を掴みたい。

そんな事は無いと言うのは、貴方の釣。
その通りだと言うのも、貴方の釣。

この哀しみの向こう側には、何が有るのだろう。

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東洋式疑似餌釣研究所

疑似餌釣(ルアー フライフィッシング)のサイトです。 四季折々の美しく強かな魚達かいる。 情緒纏綿な水辺と人と魚の物語がある。 仲間の笑顔と空の蒼さそこには 忘れてはいけない大切な時間がある。 さて、どう釣りますか?