2019年 平成と令和の釣 

31年間という平成の時代が終わり、令和元年となり、私の釣も変化しつつも続いている。

釣を楽しむ為に必要なものは、フィールド、魚、仲間であるが、私はその全てに恵まれた人間でるとつくづく思う。そもそも釣をする目的は何か、何をもって良しとする、満足するかは人それぞれであるけれど。それは自由に楽しむ為にだと、それを信じてやまない私がここにいる。


平成元年の頃を振り返って

考えてみると、ブラックバス釣りに明け暮れる少年時代を思い出す。

そこから本流のトラウト、フライフィッシング、川スズキ、渓流、海のルアーフィッシング等、色々な時代の釣をしてきた。30年って過ぎてみればあっという間の出来事で、過去の記憶はさほど風化してはいない。あの時の興奮や熱の僅かな余韻は、まだ心の真ん中に残っている。


ただ釣を取り巻く景色は、全く違うものに変わっていた。

フィールド荒廃、少なくなった魚達、もう会えない仲間達。

得たものと失ったもの。


そのどちらが大きいのかはわからないでいる。


時代は確かに変わった、この思いの全てを言葉にして即時に発信することができる。

だからこうして綴り続けて行くのであろう。このブログを読んで頂いている仲間達へ伝えたい確かな事は、釣は楽しいという事。偉大なフィールドと強かな魚達、仲間の笑顔、それ以上の何があると云うのだ。


平成の初めの頃は、釣の情報と云えば雑誌やプロショップなどからの限定的な情報か、釣り場で遭遇するアングラーや地域の人との交流で得るものが殆どだった、中には眉唾というのも含まれていて、全然ダメなんて事も日常茶飯事、何れにしても情報を引き出すのには、コミュニケーションが必要で自分から挨拶するのは当たり前だったし、情報は得るばかりでなく、相手にも伝える事が必要だったりもした。


当然、子供の頃から釣をしていた私は大人のおだて方、相手の喜ぶことを言うという能力は身に沁みついていて、自然にその振る舞いが出来る様になっていた。

釣場で知り合った大人と仲良くなり、遠くのフィールドに連れて行ってもらい、道具やテクニックを譲り受ける事もあり、急激な加速度でルアーフィッシング、フライフィッシングを覚えて行った。

もし、それをしなかったとしたら今の自分は存在していない、釣というものが何かという事は考えにも至らなかったかもしれない。


その時代のおかげで多くの魚を手にすることが出来たから、もっと深い領域での釣を追求することになったと言える。


深い領域の釣とは、なぜ釣れたのかを考察、検証することに他ならない。

偶然釣れた、ではなぜ釣れたのか?季節や魚の行動パターンや、魚の特性やフィールドの癖、他の魚や生き物、植物との因果関係、気候や天体の関係、考えられる全てを釣というベクトルへ向けて集約していく作業、実はこれが釣で一番の醍醐味の部分。

それが身に着くと、バラバラの点が一気に結びつき、全体像が突如現れる瞬間を味わう事が出来る釣を体験することになる。


これは何度も経験できる世界ではない、一生涯に一度か二度か?体験した人でないとわからない世界である、既に知っている人は、このブログをにんまりとして読んで頂いていると思う。


そこへたどり着く為に、あの感覚を得るために、日々の不毛な釣を続けているのが私であり、貴方であるとしたら、きっと釣は果てしなく楽しい世界であるはずだ。


時代は少し進むとインターネットの普及により、情報の取り方が変わってきた。

不特定多数の情報発信源があり、煩雑に溢れる情報の中から自分に必要な情報を得る事、これが今難しい時代かもしれない、真実を嘘、偽りの情報が覆い隠してしまっているのである。

何が正しくて何か間違っているのか?それが分かり難い、ネットの情報は確かに多いが先に述べた、深い領域の情報は皆無に等しいのである、広く浅い情報や、個人の勘違いは沢山溢れている。

例えば、A川に行きました、大して釣れませんでした、一方ではA川爆釣ですと、そんな結果報告なら私は要らない、ああ、人で溢れているいるのなら他所へ行こうと思うのが本音の部分。


釣れた報告をし続けると、人はどんどん集まる、何も情報を上げないと人はどんどん来なくなる。

それが現代の釣場事情、場所の情報を伏せて上げても景色や魚で、この魚はどこどこだろう?と勘のいい人はわかってしまう。


場所もルアーも特定できないようにして釣果報告だけ上げるようにしたらいい。

果たしてそんな情報誰が欲しがるというのか?

私はそんな情報合戦からは、戦線離脱して、釣という世界について語るのみとした、もちろん釣行記もあるが、行きたい人はどうぞ、そんなに甘くはありませんよ?的な不親切なものが殆どかもしれない。

情報発信をすることで得るもの、失うものがあるという事、それを考えて行かなければならない時期になってきているのではないだろうか?と思う訳である。


最近は物書きとしての苦悩もある。

釣をしている時、釣に夢中になり駆け抜けている時は、言葉は生まれない。

釣から離れ、釣を思うときこそ言葉は無限に溢れてくる、それは天空から降りてくる。

釣り人としての私と物書きとしての私は同じ人間でありながら別の人格を持っている。


そもそも釣り人は傲慢で我が侭で身勝手な生き物だ。

魚という生き物の命を玩び、自然が大事で生き物が尊い存在であると豪語し、我こそがこの世で唯一無二の名人であると思っている。


自らの名声の為に、魚を釣る、必要以上に釣る、その矛先が魚であるからまだ許されるかもしれないが、自然愛護には程遠い存在であるかもしれない。

もっと沢山、もっと大きい魚を、誰よりも釣りたい。


そしてある者は、釣道具に執着する、収集癖というのに侵されている、もちろん私もその一人。

もっと刺激的な道具を、もっと沢山の道具を、もっと高価な道具を。


欲望に素直な、或いは、抑制の出来ない子供なのか。

それでも、それが人間らしい、合理主義ではなく、非合理の中に楽しみを見出すのが素直な生き方ならば、それでいい。

少なからず我々釣り人という生き物はそうしたものであると思う。

私もその釣り人という運命に全てを委ねた一人だ。

ここに友人の形見である、エビス時代のABUカーディナルC3がある、1984年製造のジャパンカーディナル。昭和の終わりに彼が手にしたもの、平成の初め彼の没後、形見分けとして私の所に来た、刻まれた擦り傷は歴史そのものである。


有名な話だが、ベイルスプリングが頻繁に折れる、クリックのスプリングも折れて差し替えた。

今年も相変わらず使い続けている、もちろん優秀な道具は幾らでも市場に溢れているが、私にとってこれ以上のリールは無い、平成を駆け抜けた名機であると思っている。

昭和、平成、令和と回り続けたその歯車は、幾度も魚の脈動を私に伝え続けてくれた。

人の気持ちもバネと同じで何度も縮み伸び、時には折れる。


折れたら気持ちを入れ替えれば良い、また動き始める事が出来るのだからと、あの世から彼が見ている様なそんな気がした。


釣りたい気持ち、情熱を持続させるのは難しい、熱はやがて冷めて行く。

あれだけ夢中になったものに、興味すらなくなって行く。

年老いた猫が、遊びじゃれることをしなくなる様に、雪解けの荒れ狂う渓も何時かは涸れて行く様に。


新しき時代に、古き良きを知る釣師としてできる事をこれからも語り継いで行きたいと願う。

それが私の使命であると信じている。


今年も一年、このブログ 東洋式疑似餌釣研究所をお読みいただきありがとうございました。

それでは、皆様、良いお年を。











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東洋式疑似餌釣研究所

疑似餌釣(ルアー フライフィッシング)のサイトです。 四季折々の美しく強かな魚達かいる。 情緒纏綿な水辺と人と魚の物語がある。 仲間の笑顔と空の蒼さそこには 忘れてはいけない大切な時間がある。 さて、どう釣りますか?