某有名バス雑誌関連のブログにウィンターバッシングは死語であり、ナンセンスな用語であると書かれているのを読んだ。
本当に残念だ、日本のバス釣り、もっと言えばスポーツフィッシングの黎明期を牽引したアングラー達の遺した言葉は、徐々に使われなくなり消えゆく運命なのか。
その昔バスは冬は釣れない魚であると言われた時期があった。
真冬の富士五胡にて市販品を動かない様に改造したミノーで、真冬のバス釣りに挑んだ男がいた。
古いルアーマンであれば、その逸話を知らないものはいないはずである、そしてそれを元にハンドメイドで作られたルアーは素晴らしいものだったが、大先輩であるそのアングラーも作者もこの世を去った。
ルアーフィッシングに伝統というものがあるのだとしたら、私達はそれを語り継いで行かなければならないと思っている。
私は最近になりまた冬のバス釣りに熱くなっている。
どんなに時代が変わろうとも、どんなに時代遅れだと言われようとも、あの頃の熱い気持ちを忘れることなど出来やしない。
そう、舞台は冬のフィールドである。
ウィンターバッシングだ。
もう一度言う、今だからこそ、ウィンターバッシングなのだ。
時には30年前にタイムスリップしたような世界で、ルアーを投げてみる遊びだ。
或いは、全身全霊で真剣勝負でその釣りに挑むこともある。
当然、バス釣りから離れて久しいのでブランクはある、埼玉の仲間と時折出かけてスモールマウスバスを釣りに行く事もあったが、普段はフライや本流の釣が主なるものだから、バスを釣る事に真剣に向き合うことなど皆無に等しい状態だった。
渓流が禁漁期に入り、何か遊びは無いものかと始めた九州でのバス釣り。
冬になりいよいよ諦めてはいたけれど、頭の中に何時もあるのは冬でもバスは釣れるという事実。
そして一つの釣場に通う事2か月。
答えが見え始めた、地形、流れ、魚の動き、レンジ、ルアーのチョイス。
今までのバス釣りでは想像もしなかった水深15m以上のスーパーディープの世界がそこにはある。
バスだけをやっていた頃には見えなかった、バスから離れていた時期にも見えなかった。
色々な釣を終えて、再び立つ事でしか見えてこない熱い釣がそこにはある。
ゆっくりとそのタイミングを待ち、狙いを定めて、釣に行く。
手の中に釣を収めた時、得ることのできる喜びがある、釣れない時期だからこそ。
得ることのできる確かなもの。
ウィンターバッシングを死語にされてたまるか。
東洋式疑似餌釣研究所
疑似餌釣(ルアー フライフィッシング)のサイトです。 四季折々の美しく強かな魚達かいる。 情緒纏綿な水辺と人と魚の物語がある。 仲間の笑顔と空の蒼さそこには 忘れてはいけない大切な時間がある。 さて、どう釣りますか?
4コメント
2020.03.03 14:58
2020.02.01 12:18
2020.01.29 12:46