あの池にいるらしいぞ。
そんなタイトルで回顧録を綴ったことがある、今回はその池の最後の話だ。
夏も冬もルアーを投げ続けたあの池は突如、オイルフェンスが張られ、ポンプが設置されて、水を抜かれて、重機による埋め立てが始まった、そして今はもうその池は無い。
二度とあの朝もやの中でルアーを投げることも無いのだ。
埋め立てが始まって最初の土曜日の夕方、この時点ではまだ埋め立てが始まる事さえ知らないでいた。
友人は私の家に泊まりに来ることになり、朝一からバス釣りに行く計画だった、当時まだ中学生だったから自転車でブラックバスのいる野池に行くのが週末の唯一の楽しみで、まだ三段のオールドパルのタックルボックスの中身はスカスカで何時か埋め尽くすほどのルアーで満載にするのが夢だった。
前日の晩に、二人分のルアーを一つのタックルボックスに纏めてカッコよく収納させようぜ!と私が言い出して二人で夢中になって配置を考えた、やっぱり上段はトップウォーターとミノーだよとか、中段はクランクベイトにしよう!とか言いながらワクワクした夜を今でも覚えている。
翌朝、まだ暗いうちからごそごそと用意を初めて、自転車の荷台にルアーが満載になったタックルボックスをゴム紐で縛りつけてあの池に向かう。
途中にあるのは、ハンバーガーの自販機、150円くらいで熱いのを買う事が出来る。
食べたことがある人はわかるだろうが、パンの一部はビスケットの様に硬い。
そしてガラス瓶の500ml入りのコーラを買う。それも110円位であとで瓶をお店に返すと10円帰ってくる、瓶はリサイクルされるから、ペットボトルばかりな今よりもずっとエコだと思う。
もちろん、コンビニエンスストアなどない。といっても街に行けばあるにはある、ただし24時間営業ではなくて開いててよかったのセブンイレブンは7時~夜11時の時代。
当然釣りに行くときなどは閉まっている、夜の商店街は眠り、新聞配達か牛乳配達のお兄ちゃんが動いているくらいの話だ。
当時のタックルは、バンタムかファントムか、お金持ちはABUのリール、ロッドはグラスロッド、頑張っても国産カーボン、鷲のマークのボロンは夢の世界。ヒットルアーはマーベリック、ラパラ、バングオー、あとバスラブか、ファッツオー、ポップアイなんかのシャロークランク、フレックのスピナーベイト、トーナメントワーム、あとブレットンやトニー等。
ラインはゴールドストレーン、トライリーンや発売されたばかりのバリバス。
大きな橋を渡り、あの池に着く、この下り坂を降りていけば何時ものあの池のはずだった。
そこで飛び込んできた光景に唖然とする。
池の水が無い。
それどころか半分はもう埋め立てられている。
当たり前にあるはずの居場所を突然失う、そのやり場の無い、悲しみと怒りと驚き。
この池でバスが釣りたかった。
その夢は無残にもそこで終わった。。
友人が言い出した、釣りやめてルアー拾いしようぜ!
それから夢中でルアーを探して、もう陸地になってしまった池の底から5~6個くらいは回収した。
ほとんど朽ちていて使えない状態だったけど、それでも良かった。
水垢のこびり付いたプラグは歯磨き粉で磨けばたいてい綺麗になるし、錆びたフックなんかは交換すれば良いのだ。
しばらくすると大人たちが船に乗り投網を打ち始めた。
沢山魚が獲れている。
コイやフナ、ナマズに雷魚そりゃもう沢山の魚がいる。
ところがである、不思議な事に数百匹はいるであろう桶の中に、バスの姿は一匹も無かった。
後から考えた事であるけれど、ブラックバスは水位変動の激しい地域でも暮らしていける北米大陸の賢い魚。
きっと水が抜かれだして、危険を察知して水路から隣の池に逃げたのだろうと思う。
最近になってそう考えるようになって、妙に納得してしまった。
結局その後、隣の池でバスが沢山釣れるようになり、そこで私も釣ることができたのだけれど、何となく心残りであることは確かだ。
あれから40年近くの時が流れて、もういい歳のオジサンになった私がいる。
あの池も、その友人もこの世には無い。
あの池も友人も記憶の中でしか見ることはできない。
それでも、今でもバスを釣っている。
あの池に向かっていたワクワクした気持ちはもうここには無いけれど、それでも尚、友人の形見と共にバスを釣り続けている、遺された人間はそれを簡単に止めることができないのである。
最後にひとつだけ言える事は、何年やったとしても、バス釣りは楽しい。
今年も沢山遊べてよかった。
東洋式疑似餌釣研究所
疑似餌釣(ルアー フライフィッシング)のサイトです。 四季折々の美しく強かな魚達かいる。 情緒纏綿な水辺と人と魚の物語がある。 仲間の笑顔と空の蒼さそこには 忘れてはいけない大切な時間がある。 さて、どう釣りますか?
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