私の釣には魚野川から始まった釣がある。
19歳の時に始めた本流ルアーフィッシングはこの越後が舞台だった。
最後に訪れたのは30歳になって間もない頃。
丁度この地方に大きな地震があった時だから15年以上前になる、そこから何も足さず引かずの経験と勘だけが頼りの釣である、当然簡単には釣れないとは思っていた。
結論、本流の釣りは甘くない。
シーズン中、毎週通ってポイントやシーズナルの魚の動きや、釣り方が把握出来て満足な釣りが仕上がるまでには最低3年は必要だと思う。
たまたまラッキーというのは望めないものだという事を痛いほど知っている。
5月中旬、初夏の匂いがする魚野川本流へ夜明けには到着する。
いきなり釣りはしない。
記憶の魚野川と現在の魚野川を目で見て書き換える作業が半分、気持ちを整理してもう連絡もつかない同時の仲間達や先生達に教わった事を思い返して、今の自分自身のマインドを整えるのが半分。
煙草をポケットから取り出し流れを見つめる。
この瀬の中、どこかに魚はいるはずだ。
流し方やタックルのイメージがついたら。
100%のポイントへ向かう。
遊漁券は流域のコンビニで買うことができる。2100円が1日のエントリフィーである。
安くは無いがこれも本流の授業料だ。
瀬の中にある障害物は激流の中に僅かな緩流帯をつくる。まずは流芯に絡むそんな場所をダウンクロスでルアーを誘導して、ピンポイントで止めるが理想だか、流速が高い瀬、その実際はルアーを止める事はできない。
魚の運動能力で捉える事の出来る速度までルアーをギリギリまで減速させるイメージである。緩流帯は流れの中に障害物があれば前後左右に生まれる、その日のコンディションや付いている魚種によっては、タナや速度を変える必要もある。
そんな理論はトライ&エラーを反復して経験を重ねれば次第に付いてくる。
だけどチャンスは全ての釣り人に平等に与えられている。チャンス、つまり魚からの反応が無ければ、どんなテクニックもルアーも無意味である事を知るべきだ。
止めたミノーに明確なアタリ。
そして元気にジャンプを繰り返す。
30を少し越えたくらいの雪解け水で綺麗に磨かれたニジマスが答えてくれた。
もう二度とこの川の魚を釣ることは出来ないと15年前に九州へ引っ越してから思っていたから、まるで夢を見ている様な素晴らしい時間だった。
その後、地元新潟の仲間が駆け付けてくれた。
合流して挨拶をして今日の状況を話すが「好きな場所をやって下さい」と言われてはみたものの、川の様子が激変していて以前より浅くなっている?車で移動しながら見て回るがなかなか次のポイントが見つからない。
人が入りにくい場所へ歩いて下りましょう。
となんの確信もないまま、河原を下流へ下りながらそれらしいピンポイントを攻める。
幸先良い一本の後は、出そうな場所から魚の反応はなく、川は沈黙したまま、目の前には豊かな水と心地よい時間はただただ流れている。
そして岸際からヤマメをヒットさせた仲間。
ルアーは、サトウ・オリジナル アンサー10㌘尺に少し届かないくらいのヤマメ。
少し期待が出来そうか?というところ。
仲間は私にヒットルアーを手渡した。
「これ、使って下さい。」
そう言われては、それで釣らない訳にはいかない。
そして私もアンサー10㌘でニジマスをキャッチ。
無事にミッションを終えたところで。
スプーンの塗装が終わったら、飯に行こうとお誘いいただいた、サトウ・オリジナル 佐藤さんの事務所へ。
佐藤さんのところでコーヒーをご馳走になり。行きつけというラーメン屋さんで昼飯を取りながら、3人で釣り談義、今日の午後のオススメポイント等を教えていただいた。
午後はドラマは無く、夕方は渓流へ入るが雪解けの増水で釣りにならず、ワラビ取りをしてこの日の釣りを終えた。
仲間とも別れて、単独で向かったのは石打の温泉、釣の疲れを癒し、楽しい1日の余韻に浸りながら初夏の越後を後にした。
今回はリハビリ的な釣。
自分に足りないなにか?情熱や努力?それを改めて知った事、そして熱意をもって挑めば魚野川は魚野の魚達はちゃんと答えてくれる。
そして確信的な釣りが見えたら、6月にもう一度、魚野川へ行くつもりだ。
フィールド、魚、仲間。
今まで何度も言ってきたが、それに恵まれた事は幸せであることに他ならない。
東洋式疑似餌釣研究所
疑似餌釣(ルアー フライフィッシング)のサイトです。 四季折々の美しく強かな魚達かいる。 情緒纏綿な水辺と人と魚の物語がある。 仲間の笑顔と空の蒼さそこには 忘れてはいけない大切な時間がある。 さて、どう釣りますか?
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